星の巡礼 ~37-41日目~ 最終回

第37章 Ferreiros → Palas de Lei

2008年7月18日 (金)  第37日目
起床:5時30分     朝食:アクエリアス、パン、サラミソーセージ
出発:6時30分     気温:15℃  ~ 30℃   曇りのち晴れ

あっという間にみんな出発してしまい、あとは2-3組しか残っていなかった。 曇っていたのでかなり暗く、念のためにヘッドライトを用意し出発したが結局不要であった。 簡単な道を歩いているうちに明るくなってしまった。 9時頃にPortomarinに到着し、街中に教会があってが見学せずに通過した。 Gonzarで昨日あったカーラとヤァーニャに会った。 公園で休憩してチョコカステラと水を取った。 彼女達と記念写真を撮った。Londonに戻って仕事を見つけるとのこと。どうも英語がうまいと思った。
photo-A
 昨日からしっかりと食べるようにしたためか体調がいい。足もまったく疲れない。 Ventas de Naronで昼食にボカディージョ(フレンチオムレツ)とアクエリアスをとった。 12時15分に出発した。Erexeでカフェコンレチェを飲んだ。 韓国人の4人と話しをした。 一人は日本語が大変上手であった。公園のはずれで日本人女性と会った。鹿児島から来たということでスペイン語はべらべらであった。体調がよかったのでPalas de Reiまで33kmを一気に歩いてしまった。Albergueに3時に到着。 Hospitaleiro がよく歩いてきたといって特別室に入れてくれた。 4人部屋で、65歳のオランダ人とドイツ人の母、娘の4人であった。この巡礼も残り69kmとなった。 
ドイツ人の親子はとんでもない人間で母親はタバコは吸う、コンロでコーヒーを沸かす、など「禁止されているよ」といっても聞かない。あきれたドイツ人だ。 おまけにいびきがすごくて眠れずに、とうとう3時頃耳栓をして寝た。どうしようもない人間だ。
   昼食: 3.7ユーロ、コーヒー:1.4ユーロ  Albergue:3ユーロ
   Ferreiros → Palas de Rei   33km   TTL:728km

第38章 Palas de Rei → Arzua

2008年7月19日(土) 第38日目
起床:6時15分       朝食:コーヒー、アクエリアス、エンパナーダ
出発:7時00分       気温:20℃ ~ 35℃   曇りのち晴れ

いびきのおかげで寝坊してしまった。急いで出発すると例のフランス人6人組が前を歩いていた。何となんと。しばらく一緒に歩いたがそのうちに先に来てしまった。 スペイン人の老夫婦が、絶えず“サンタマリア”を唱えながら歩いていた。 信仰深い人もいるのだ。こういう人たちは真のカトリック教徒で本来の巡礼をしているのであろうなと思った。話しかけることもはばかられて、少しはなれて歩いた。
10時30分頃にMelideに到着。ここで泊まる人がもう結構宿の前に並んでいた。Pulpo(たこ)が有名なので食べようかと考えたが、腹も減っていないし、もともとタコは好きでなくあまり食指が動かないので、Pulpoで有名なレストラン(Ezeuiel)の前を通ったが、素通りした。すると後ろからKenと呼ぶ声がする。そのレストランからである。
振り返ると、O Cebleiroで出会ったスロバキアのカップルで蛸を食べていけという。先を急ぎたかったが、せっかくなので店に入り、彼らが頼んで食べていたPulpoを2-3切れつまんだがちっともおいしくないので、こんなものはわざわざここで食べなくてもいいなと思った。 ひとしきり話した後11時20分に分かれて一人で出発した。Arzuaを目指した。
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大変暑くて途中ふらふらしたが、2時45分Albergueに到着した。しかしすでにFullであり、近くのPrivateの宿を紹介された。 仕方なくそちらにCheck-in。高いだけあり結構きれいで気分がいい。「Via Lactea」という名前。
ガリシアに入ってからは、うわさどおり巡礼者の数が極端に増えて早くAlbergueに到着しないとあぶれてしまう。今日も必死で歩いたが、2時40分にArzuaのAlbergueに到着したときはもういっぱいでPrivateの宿になってしまった。 1泊10ユーロだ。公営より高い。といっても安いものだ。
巡礼宿が開く前に到着して、並んで開くのを待っている。場所取りの競争が始まっている。

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明日からもっと早く出発して早めに切り上げよう。 長距離はもう無理であろう。
近くのスーパーで買出しして夕食はスパゲッティ。6ユーロ。残っていた麺はドイツ人が使ってしまった。大変厚かましい。ドイツ人というのはそうしたことはしないと思い込んでいたが、甘かった。どの国も同じである。

Palas de Rei → Arzua   28.7km     TTL 756.8km


第39章 Arzua → Pedrouzo

2008年7月20日(日) 第39日目
起床:6時15分       朝食:バナナ1本、アクエリアス
出発:7時          気温:14℃ → 25℃ 曇り夕方晴れ

Private Albergueで人が少なく、朝も早く起きる人間が少なかったが、ひとりでに目が覚めた。 朝食をとろうとしたら冷蔵庫に入れておいたヨーグルトがなくなっていた。多分あのドイツ人が食べてしまったのだ。とんでもない連中だ。スパゲッティとヨーグルトをやられた。 今日はPedrouzoで泊まる。 12時15分にAlbergueに到着。すでに30人くらい並んでいた。 見知った顔も何人かいる。 3ユーロ。
途中でトルティジャのボカディージョとカフェコンレチェを取った。4.2ユーロ
O Cebleiro以降どんどん人の数が増えてきてAlbergueを確保することが困難になってきているが、どうも単に人数が増えているだけではなく、歩いている人種も違ってきているように思える。このことをスペイン人の女の子に話したら、その通りといい、St Jeanやロンセボーから歩いてくる人はかなりの覚悟をしてきているし、考え方などがより純粋なような気がする。 近くから歩く人は、単なるリクリエーションのような感覚で歩いているのかもしれない。以前は冷蔵庫の中のものがなくなるということはなかったが、ここまでくると起こりうるのだ。雰囲気が違うので歩いていてもなんとなく楽しくないのだ。多分ほかの人も同じような感じを持っているのだろう。まだ小さな赤ちゃんを連れている巡礼者がいるのには驚いた。
日曜日でスーパーが閉まっており買い物ができないのでパン屋でエンパナーダとクロワッサンを買った。明日の朝食までだ。  4.7ユーロ
いよいよ明日はMonte de Gozoで残り20kmとなった。
このAlbergue には例のドイツ人母娘がきていた。驚きだ。Santiago 到着後はヒッチハイクでフランスまで戻りそれからドイツに戻るとのこと。あまり顔を見たくない連中だ。若いスペイン青年が盛んに娘にアタックしていた。こういう風景は巡礼路では良く見る。
アーニャとカーラに会った。同じ宿になった。昨夜は野宿したそうだ。明日はサンチャゴに入り3日間泊まって24日にLondonに帰りその後ザグレブに戻るそうだ。 その後Londonには8月末か9月はじめに戻る予定と。たのしい連中だ。アイルランドの青年はSantiagoから直接Dublinに飛行機で戻るそうだ。 Airlingasが直行便を飛ばしているらしい。カトリックの国だけあって配慮されているのかもしれない。彼らの情報で日本人女性が2名泊まっているとのこと。やはり昼間見たのは日本人だった。
夕方2人の日本人に会った。一人は以前に出会ったスペイン人たちと歩いていた人。あとの1人は日本人には初めてであったといい、四国から来た人。立ち話しした後、別れて食事に出た。イスラエル人とポーランド人の教授という人たちと4人で夕食をした。
あまりいいレストランがなく町外れの地元の人が行くようなレストランに入ったが、そこは完全に若者向きであって、ハンバーガー屋のようなものであった。それでも豚肉を細かく刻んだものと、目玉焼き、ポテトフライ、生野菜、赤のワインで8.5ユーロ。
帰り道、お菓子屋でお茶とケーキを取って9時半に宿に戻った。
明日朝はゆっくりだ。イスラエルの男性は、自分はユダヤ教だが歩きに来た。歩くのが好きだといい、日本の四国88箇所めぐりもやってみたいといっていた。 話の中で私が、パンやチーズ、ワインが好きだというと、お前は日本人ではないといわれた。そういう思い込みのある人間がいて、よくない。


第40章 Pedrouzo → Monte Gozo 

2008年7月21日(月) 第40日目
起床:6時             朝食:エンパナーダ、クロワッサン、アクエリアス。
出発:7時             気温:15℃ ~30℃  快晴

ガリシアに入ってから比較的朝は霧や曇りが多く、昼頃から晴れ上がるというパターンであったが、今日は朝から快晴で気温も上昇している。 ヤーニャとカーラどこかに行ってしまい出会わない。どこに行ってしまった。 ドイツ人母娘には2度も出会ってしまった。何でも冷蔵庫からパンを失敬してきたらしい。なんという連中。今回会うドイツ人はろくなのがいない。ひどい連中だ。 Monte Gozoには11時前に到着。宿が開くまでビールを飲んで時間をつぶした。サラミとパンを食べたが、まだ空腹なので缶詰のサラダとペンネで軽食を済ませた。今日は眠い。昨夜の寝不足がたたっている。
ガリシアは湿度が高いので歩くには大変だが、朝の曇っているうちに歩くとまだいい。今日は強烈な快晴で直射日光に当たると皮膚が痛い。 何人かの顔見知りがここに泊まった。
このAlbergueはものすごい規模の設備で800のベッドにレストラン、スーパー、カフェテリア、土産物屋などあるがろくなものはおいてなかった。巨大なモニュメントも何か白々しい。 ここから見るSantiagoの大聖堂はたいしたことはない。 何の感激もない。樹の陰から先端が見えるだけで、考えていたほどのことはなかった。
中世の頃は、きっとさえぎるものは何もなくて聖堂が良く見えたので感動的であったのだろう。 今日ではその感動に浸る雰囲気はない。

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明日はいよいよSantiago だ。チョットさびしいな。食堂で夕食をとっているとフランス人6人組が歩いていた。やはりここに泊まるのだ。明日会えるだろう。 一緒に食事をしたフランス人夫婦がクルミエールチーズを分けてくれた。 すばらしい。やはりチーズはフランスだ。
ビール1.4ユーロ、昼食1.9ユーロ、夕食4.5ユーロ、宿 3ユーロ
Pedrouzo → Monte de Gozo  15km      TTL 791km

 

 

第41章 Monte Gozo → Santiago de Compostella         

2008年7月22日 (火) 第41日目
 起床:6時45分            朝食:パン、サラミ、ジュース
出発: 7時30分            天気: 18℃ ~ 28℃ 快晴

Monte Gozo の階段を下りていくとレストランでフランス人6人組が朝食をとっていた。
挨拶して先に出発した。 Santiago まで約1時間だ。
8時30分にCathedralに到着した。 何度も写真や本などで見ていたためか、初めてなのにみなれた感じの眺めが目の前に広がり、何の感激も沸かず、なんとなく来てしまったような感覚になった。もっと深い感激を期待していたのに、いささか気が抜けたような感じだ。中には、大聖堂前の広場で感激して涙を流しながら抱き合っている人もいる。残念ながら、私は全くそうした感激がわいてこない。それよりも、これで終わってしまったという寂しさ、空虚感、などのほうが強く何とも言えない複雑な感情である。
Cathedralのなかに入りSantiago の像の下にあるSantiagoの墓は9時半に開くので、少し待って、開くと同時に地下の狭い通路に入りお参りをした。Santiagoの遺体は銀の棺に入っていた。
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その後巡礼事務所に行き巡礼証明書をもらった。宿探しをしなくてはいけないが、イタリア人が自分の宿を紹介してくれた。行ってみたが、今日一泊しかできないというが仕方がない。20ユーロ。明日のことはまた考えよう。
12時からの巡礼者のためのミサに出席した。サンジャヤンからの到着日本人は一人といったので、私のことであろう。 少し感激した。
ミサには見知った顔の連中がいっぱいいた。みんな眼で挨拶した。約45分で終了した。
有名なボタフメイヨは執り行われなかった。外に出てぶらぶらしていると例のイタリア人カップルにばったり出会った。2人で30ユーロの宿にいるとのこと。一緒に行って見たが、3泊はだめということ。 明日からの宿がない。彼らと3人でレストラン“マローネ”に行って昼ごはんを食べた。 コロッケと舌平目にビールを飲み腹いっぱいになった。 食後彼らは巡礼証明者をもらいに行った。 明日の朝食の買出しをして、宿に戻り昼寝をした。
明日からの宿探しをしたがもうどこもいっぱいで安いところは空きがない。やむなくCathedral近くのホテルをBookした。 一泊100ユーロとめちゃくちゃ高いが、仕方がない。 その代わり豪華な部屋だ。 明日は何時でもCheck-in出来るというので、朝一番に移動することにした。パラドールも聞いてみたが一泊200ユーロということであきらめた。
夜8時頃にBarに行き、タパスのえび、いか、サラダ、白Wine2杯をとり気持ち良くなっていると、O Cebreroで出会った舞さんが私の姿を見つけて入ってきた。もう一人の日本人涼子さんと一緒だ。カウンターでワインを飲みながら3人で話した。夜11時半頃まで話し込んだ。明日はもう歩かなくていい、と思うと何か変な気持である。
そして宿に戻ったら何とも言えぬ寂しさがわいてきた。

昼食:10ユーロ、   夕食25ユーロ、   スーパー 6ユーロ
Monte de Gozo → Santiago de Compostella     5km    TTL 796km

 



あとがき

数年前に、故松井みどりさんに、「Wales便り」に引き続きこの「星の巡礼」を書くように促されて、書き始めて以来、今回ようやく完結いたしました。思ったよりも多くの時間がかかり、松井みどりさんがご存命のうちに完結できなかったことが大変悔やまれます。松井さんのあまりにも突然のご逝去に驚き、その後しばらくの間、書くことができませんでした。この日記を完成させることが、松井さんのご冥福につながるとの思いで、ようやく完成いたしました。私自身は、この最初の巡礼に感銘を受けて、以来毎年フランス、スペインを歩きまして今年でとうとう9回目になりました。体力が許す限り、続けたいと思っております。また代々HPの編集に係わられた方々にも御礼申し上げます。ありがとうございました。

2017年8月10日 岡本賢一

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