第6回------メアリー・ジョーンズ----ウェールズ語聖書を求めて40km

聖書を求める人々に無償で聖書を配布する団体「英国内外聖書協会」が1804年にロンドンで創設された。この協会の初仕事はウェールズ語聖書の配 布であった。では、なぜその記念すべき初仕事が英語聖書ではなくウェールズ語聖書であったのか。その背景にはメアリー・ジョーンズ(Mary Jones、1784-1864)という16歳のウェールズ人少女と聖書にまつわる出来事があった。

こ の少女は、北ウェールズの小さな村スランヴィーハンゲル・ア・ペナントの近くに住んでいた。両親は信仰心が篤く、8歳のメアリーに聖書の物語をいろいろ話 してくれたのであった。彼女もそれらの物語を聞くのが好きで、次第に自分も聖書が欲しいと思うようになった。しかし両親は2人とも文字が読めず、また ウェールズ語聖書も非常に高価なものであった。やがて、3km先の村に学校ができた。メアリーは毎朝早く起き、家事を手伝い、村の学校へ通い、読み方を学 んだ。10歳のとき、校長先生から他の生徒のため、学校に備えつけてある大きな聖書を読むように言われた。彼女はこれを上手に読むことができた。この出来 事を機に、メアリーは以前にもましてますます自分の聖書が欲しなった。それからというもの、聖書を買うために彼女は一生懸命働いた。そして6年後の 1800年のある朝、貯えた3シリング6ペンスを手に、メソディスト派の説教師トマス・チャールズ(Thomas Charles, 1755-1814)からウェールズ語聖書を買うため、メアリーは40キロメートル離れたバラに向け徒歩で出発した。40キロメートルの道のりである。予 備の靴をもう一足用意した彼女は、朝早く出発し、夜遅くバラに到着した。翌日彼女はトマス・チャールズに会い、聖書を買いたいと告げた。しかし、残念なこ とにもう聖書は残っていなかった。メアリーの失望は大きかった。その悲しむ姿を見てチャールズは心を動かされ、自分の聖書を彼女に与えた。この出来事はト マス・チャールズの心に深く刻み込まれた。その後、彼は聖書の無償配布を目的とする英国内外聖書協会の設立に尽力し、1804年にそれが設立されると、そ の協会の初仕事としてウェールズ語聖書の配布を実現させたのであった。

これがその物語である。自分の聖書を与えたトマス・チャールズの行為も賞賛に値するが、聖書を求め40kmの道のりも苦とせず歩いたメアリーに感動せずにはおれない。さぞ困難な旅であったであろう。

現 代の日本人にとって、1日に40km歩くのは至難の業に近いことは確かだ。では昔の、たとえば江戸時代の日本人は旅において1日どのくらい歩いたのであろ うか。それを教えてくれる良い例がある。東海道五三次、距離にして125里。1里は4kmであるから500 kmということになる。この道のりを当時の人は平均13泊14日で旅したという。1日平均36kmである。『南総里見八犬伝』を書いた滝沢馬琴は12日で 旅したというから、彼の場合は1日41.6kmとなる。ということで、男性なら1日10里(40km)、また女性であれば8里(32km)が当時の平均で あったという。洋の東西を問わず、人間が普通に歩けるのは1日そのあたりが相場となる。

ウェー ルズのジェラルド(ギラルドゥス・カンブレンシス)は彼の著書『ウェールズ素描』の冒頭で「ウェールズは南北200マイル(320キロメートル)、東西 100マイル(160キロメートル)で、アングルシーのグウィギル川の河口からグウェントのポートスキウェットまで旅をすれば、たっぷり8日かかる。東西 は、セント・デイヴィッズの近くにある大きな港を意味するポース・マウルから、英語でワルフォードと呼ばれ、ウェールズ語では『柳の浅瀬』を意味するリッ ド・ヘリッグまでで、これを旅すると4日かかる」と記しているが、これも1日40km歩くこと計算上の目安となっている。またシェイクスピアの『シンベリ ン』3幕2場には、女性の1日に歩ける距離が次のように示されている。

イモージェン ・・・
・・・   ねえ、どのくらいあるの、
そのしあわせなミルフォードまで?ついでにきくけれど、
どうしてウェールズはそんなにもしあわせな土地なの?
・・・
・・・ねえ、教えて、
私たちはいそげば何十マイルぐらい進めるものなの、
1時間ごとに。
ビザーニオ  日の出から日の入りまで、20マイル行けば
  奥様には十分でしょう。それでも十分すぎるぐらいです。
小田島雄志訳 白水社

こ こでも女性は1日20マイル(32km)である。ということは、1日40kmは女性には厳しい距離であった。それは男性にとっても決して楽な距離ではない であろう。しかもメアリーは16歳の少女である。その長い距離を考慮してメアリーは早朝に出発した。予備の靴を用意したのも賢明であった。さしずめ東海道 なら、わらじを一足余分に用意するというところであろう。結局バラの町に着いたのは夜遅くになってからであった。ウェールズの道は平坦ではなく、また悪路 で有名であった。したがって、彼女の旅の苦労は単に距離の長さだけでは推し量ることはできない。それらをものともせず、彼女に40kmを歩かせたのは彼女 の篤い信仰心であったに違いない。

メアリーは実に良く歩いたが、一般的に言って、イギリス人は歩くことにおいて は尋常でない国民であった。『田園の創造』(The Invention of the Countryside: Hunting, Walking and Ecology in English Literature, 1671-1831, 2001)の著者ドンナ・ランドリー(Donna Landry)はこれに関し、次のような興味深いデータを示している。まずはフォスター・パウエルという男の例である。彼は1773年に、ロンドン・ヨー ク間往復402マイル(643.2km)を5日と15時間半で歩いたという。1日に平均72マイル(115.2km)を歩いたのである。またバークレー大 尉という男は、1801年に90マイル(144km)を21時間半で歩いたという。平均速度6.7キロメートルという速さであった。

メアリー・ジョーンズ 

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