第8回------"フィッシュガード フランス軍最後の英国上陸作戦"

1797年2月22日、ペンブルック州の小さな港町フィッシュガードに1,400名からなるフランス革命軍が上陸した。フランス革命によりイギリスとフランスは戦争状態にあり、フランス軍のイギリス本土上陸も決して考えられないことではなかった。しかし何故フランス軍はよりもよって、ウェールズの片田舎フィッシュガードに上陸したのか。

フランスからの軍隊がウェールズに上陸したのは実はこれが最初ではなかった。手薄で、イギリスの裏口にあたるウェールズは、侵攻拠点には好都合であったのかもしれない。1404年にはウェールズの反乱を支援するため、ペンブルック州のミルフォード・ヘイヴンにフランス軍が上陸した。また1485年には、ヘンリー・テューダー(のちのヘンリー7世)は亡命先のフランスのブルターニュから2000の兵を率い、同じミルフォード・ヘイヴンに上陸し、ウェールズの豪族たちの支持を得てその兵力を増やしながら進軍し、中部イングランドのボズワースの地にリチャード3世を打ち破り、王位に就いた。はたしてフランス軍はこの300年前の勝利の再現を狙ったのであろうか。しかしこのフランス軍は上陸のわずか3日後に、本格的な戦闘を交えることもなく、いともあっさりと地元の民兵団に降伏してしまったのである。

なんとも中途半端なイギリス侵攻であった。 この少々お粗末なイギリス上陸作戦は、実は前年に不成功に終わったフランス軍によるアイルランド解放上陸作戦から生まれたあだ花であった。当時イギリスの圧政下にあったアルランドはイギリスのくびきからの解放を願っていたが、アメリカが独立し、フランス革命が起きるという時代の流れの中で、アイルランドの人々の間に解放と独立への期待が高まっていた。

アイルランドにウルフ・トーン(Theobald Wolf Tone, 1763-98)という若い弁護士がいた。彼は政治の世界に飛び込み、アイルランド人連合会(ユナイテッド・アイリッシュメン)という愛国団体を作った。ところが彼は、フランス軍のアイルランド進攻を打診してきたフランスからの密使との接触が発覚し、アメリカに亡命せざるを得なくなった。アメリカに亡命したトーンは、そこからフランスに渡り、革命政府を口説き、アイルランド解放のためのフランス軍による遠征作戦を実現させた。しかし精鋭14,450の兵士を乗せた17隻の戦列艦を含む43隻からなる大艦隊は南西アイルランドの沖合に到着したものの、2週間以上吹き荒れた悪天候のため上陸できず、結局作戦は中止され、むなしく帰途についた。 このアイルランド解放作戦の失敗にもかかわらず、この作戦の陽動作戦として位置づけられていたブリストル上陸作戦が決行されたのである。陽動作戦とは主作戦あってのものであり、単独の作戦としてはあまり意味のないものなのだが、何故かそれが実行に移された。理解に苦しむ行為である。その作戦とは、当時奴隷交易で潤っていたイングランド第2の大都市ブリストルに上陸し、その都市を焼き払い、イングランド政府の圧政に苦しむウェールズ農民の支持を得ながらイングランド・ウェールズ国境地帯を北上し、チェスターやリバプールを襲うという壮大な作戦であった。 不思議なことに、このような壮大な作戦にもかかわらず、それに割り当てられた兵力は少なすぎ、その質はといえば劣悪そのものであった。すなわちこの作戦に投入された兵力は1,600名に過ぎず、またその兵士の大半は監獄から解き放たれた囚人たちであった。また彼らの軍服はフランスに侵攻したイギリス軍が撃退されたおりに遺棄したイギリス軍服を代用したものであった。このにわか集めの烏合の衆である兵士たちと、ナポレオンに率いられたフランス陸軍の精華である正規軍は比べようもなかった。

元来陽動作戦部隊であったこのイングランド遠征軍は、アイルランド上陸に失敗した遠征艦隊がブレスト港に戻ってから1ヶ月半ほど置いて出港した。なぜ主作戦が失敗したのに、陽動作戦が発令されたのか、何とも辻褄の合わないことである。フランス革命政府はアイルランド作戦が失敗すると、囚人からなるこの劣悪なイングランド遠征部隊の処置に困り、勝算のないイングランド派兵を実行することにより、この部隊を事実上処分しようとしたのではないかと勘ぐりたくもなる。

そのイギリス上陸部隊は1798年2月にブルターニュのカマレ泊地を出帆した。ブリストル湾の入り口に差しかかったが、そこからは逆風のため船団は思うように進むことができなかった。そのため、当時既に70歳の年齢に達していた上陸指揮官であるアメリカ系アイルランド人のウィリアム・テイト大佐はブリストル攻撃を諦め、ウェールズのカーディガン湾を目指し、フィッシュガードに上陸を果たした。 上陸するやいなや、懸念されていたこれらフランス軍兵士の質の悪さがすぐに露呈した。偵察兼食料調達に出た兵士たちは、ウェールズ人たちが難破船から密かに盗み出し家に隠していたワインを見つけ、それをがぶ飲みし、酩酊したところを地元民に次々に捕まるという醜態を演じたのであった。ジェミマ・ニコラス(Jemima Nicholas, 1750?-1832)という47歳の靴の修繕屋であった女性は、1人でそのような兵士を12人捕らえたという。またある兵士は時を告げる大時計に驚き、それに向けて発砲した。 このようなていたらくな兵士たちを見て侵略軍の指揮官テイト大佐はイギリス軍の本格的な反撃が始まったらひとたまりもないと思った。そこで被害のないうちに降伏を申し入れた方が得策であると考え、2月25日に無条件降伏したのであった。このようにしてフランス軍の最後のイギリス侵攻はもろくも潰えた。

フランス軍の志気は落ちていたとはいえ、兵力においては2倍であった。にもかかわらずテイト大佐が降伏をした背景には、彼がイギリス軍の兵力を見誤ったことにある。その原因となったものは、ウェールズ女性の衣装であった。女性たちは彼女らの伝統的な真っ赤なマントと丸いフェルト帽を被り、上陸したフランス軍を団体で遠くから見物していたのであった。しかし、それはフランス兵には有名なイギリスの赤い軍服を着た兵士に見えたのであった。当時のフィッシュガードの女性たちは、原野の岩に生えるクロッタルという地衣類で、ウールを染めた。クロッタルでウールを染めると真っ赤になるのであった。極言すると、「ウェールズ的民族衣装」がウェールズを救い、ひいてはイギリスを救ったのであった。

 

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