第20回------ウェールズの守護聖人の祭り---マブサント(2)

民衆文化としてのマブサントとは、一体どのようなものであったのだろうか?記録によると、それは聖遺物のパレード、飲食、歌やダンス、力自慢や技自慢の競技、サッカー、競馬、競艇、ボーリング、闘鶏、ハープやフィドルの演奏、インタールドと呼ばれる宗教劇や道徳劇、民間療法、占いなどが行われた縁日のようなものであったという。

聖遺物の日曜日
 ウェールズでは宗教改革は比較的早く達成されたので、巡礼や中世の教会でのマリア崇敬にまつわる行事は早々と失われてしまった。しかし18世紀のウェールズの教区には、聖遺物のパレードや中世からの伝統行事が残っていた。そのような教区のマブサントでは、日曜日に、聖人の遺物を先頭に、村中を練り歩くパレードがあったが、これは「聖遺物の日曜日」と呼ばれた。特にカナーヴォンシャーのクリノッグ・ヴァウルやアングルシーのスラネイリアンの聖遺物の日曜日は賑やかで活気に溢れていたが、騒々しく、物騒で、非行や喧嘩が横行したことで有名であった。例えば、スラネイリアンでは、参拝客は酒に酔い、大騒ぎをして、地元に多大な迷惑をかけた。しかし、当局はそれを規制することはできなかった。というのは、彼らが守護聖人のチャペルで奉納するお布施が莫大な金額になり、それにより、その教区は救貧税を徴収しなくてもよいほど、財政的にたいへん潤ったからであった。

占い
 聖遺物を拝み、お布施をしたあとは、人々は昔ながらの伝統的な方法で、自分たちの結婚運や将来を占ったりした。例えば、ホーリーヘッドにある聖ガビの泉では、女性がハンカチを水面に浮かべ、それが流れていく方向で、恋いの行方を占ったという。

ダンス
 マブサントではダンスが呼び物の一つであった。19世紀のブレコンシャーでは、村の青年や娘たちはマブサントが近づくと5シリング3ペンスを払ってダンスのレッスンを受けたという。また1746年のラドノーシャーのディセルスのマブサントでは、多くの若者のカップルが教会内の墓地で楽しそうにヴァイオリンに合わせてダンスをしているのをイングランド人の旅行者が目撃している。そのヴァイオリン奏者は、罰当たりなことに、墓石に腰掛けて演奏していたという。

 

 

 

食事・酒
 マブサントの多くは収穫期に行われたので、人々に食事と酒がたっぷり振る舞われた。1760年のカーディガンシャーでは、穀物の刈り取りに従事した人々に食事が与えられた。彼らは腹が一杯になると、穀物倉庫に行き、木の床の上で汗だくになるまで踊ったという。19世紀初頭のデンビーシャーのある教区のマブサントでは、裕福な農場経営者は、貧しい教区民のために家を開放し、食事を振る舞うのが習慣であった。南ウェールズのガワー半島の祭りでは、プラムプディングが出された。

ウエイクの肉
 モントゴメリーシャーのある教区の祭りでは、食事が、裕福な人にも貧しい人にも、等しく与えられることで有名であった。特に貧しい人々に与えられた食事は「ウエイクの肉」と呼ばれた。この祭りで面白いことは、ウエイクが終わりに近づくと「ウエイクの市長」が選ばれたことである。

ウエイクの市長
 「ウエイクの市長」はウエイクの期間中の日曜の午前中から水曜日の夜まで一度も家に帰らないでパブに入り浸り、酩酊状態にある男が選ばれた。この基準を満たす人物が発見されると、すぐさまその男はリボンと花輪で飾られ、イスに座らされた。彼は右手にビールの入った大きなジョッキを持たされ、彼が来年のウエイクまで「ウエイクの市長」であると宣言される。また時には手押し車に載せられ、村中を引き回されることもあった。この「ウエイクの市長」の選出は、祭りの開催中には日常の秩序が覆され、世の中がひっくり返ることを象徴的に表現したものだといえる。これはカーニバルにつきものの逆さまの思想であり、その意味で、飲み、食い、踊り、無秩序と逆転の思想をもつマブサントはウェールズのカーニバルと言えるのである。(続く)

morris dance

モリスダンス

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