第21回------ウェールズの守護聖人の祭り---マブサント(3)

マブサントは、宗教的というよりも、むしろ世俗的な祭りとしてウェールズに根付いた。しかし,マブサントには教区民の団結や連帯感を強化するという側面があった。他教区の若者たちとの乱闘も、ある意味では教区民の団結を示すものであろうが、それはさておき、そのようなマブサントの例を5月3日に南ウェールズのスラントウィット・メイジャーで行われた祭りに見ることができる。

ジョン・オニールの城
 その祭りでは「ジョン・オニールの城」というイベントが行われた。このイベントに関しては17世紀末に最初の言及があるが、それによると、11月6日の聖イルティドの祝祭日には酒宴が開かれ、ダンスや競馬が行われたという。しかし,このマブサントのハイライトは、ジョン・オニールの城を村人が攻めるという恒例の行事であった。

「ジョン・オニールの城」の概要は、およそ次のようなものであった。スラントウィト・メイジャーには海に注ぐ小さな川があり、その向岸で、ひげ面のジョン・オニールがテントを張っている。これがジョン・オニールの城である。対岸には王、女王、大臣といった役のついた村人が集まっている。彼らは対岸のオニールに向かって、「テントから出てきて戦え」と罵声を浴びせる。その後は二つの筋書きが用意されている。一つはオニールが自らテントを燃やして逃げるというもの。もう一つは、密かに川を渡った村人がテントに火を付け、その火を消そうとするオニールを捕らえ、首を刎ねるというものである。イベントではその二つの筋書きのどちらかが起きるが、その後に勝利を祝う儀式が行われ、人々は村へ凱旋して祝賀会を行う。

このイベントを行う村人たちは、何故このようなことを行うのか,自分でも分からない。それが伝統というもの。しかし、答えのヒントは歴史の中にあった。かつてスラントウィット・メイジャーの村はアイルランド人の海賊にしばしば襲われたという。村人たちは襲われないように海賊と交渉し,お金を払っていたという。とすれば、この「ジョン・オニールの城」は村民による象徴的な海賊撃破の祭りであり、このイベントは、外敵に対しては村民が団結・連帯して事に当たる重要性を説いていると言える。確かに、オニールはアイルランド人の名字であり、この説は大いに頷ける。しかしこのイベントに関しては他にも色々解釈が可能で、それが後に11月から5月に移されて行われるようになったことから、ケルトの春の祭りであるベルティネ祭と関係があるとも、また冬と夏の戦いを象徴したものだとも言われる。

ション・ア・ネルとスキミントン
 面白いことにグラモーガンの他の地域でのマブサントでは、このジョン・オニールはション・ア・ネル(Sion y Nel)として登場する。ション・ア・ネルはジョン・オニールをそのままウェールズ語にしたものだが、彼はジョン・オニールのように、海からウェールズを脅かす海賊ではない。彼はそのウェールズ語の名前が示すように、教区に住むウェールズ人なのだ。それも、妻に殴られ、虐められる哀れな夫の代名詞なのである。現代風に言えば、さしずめ妻からDVを受ける夫ということになる。

18世紀のイングランドには、不貞を働かれて、今風に言えば不倫をされていて、それに気付いていない夫または妻を、鳴り物入りで嘲笑するスキミントン呼ばれるパレードがあった。ション・ア・ネルは不倫とは無関係だが、妻から虐待を受ける夫として、このウェールズ版スキミントンのパレードで嘲笑される対象となる。妻に殴られるということは、当時の通念では、世の中が逆さまになったことを暗示するので、ション・ア・ネルは無秩序の象徴であると言える。言い方を変えると、無秩序がション・ア・ネルの仮面をかぶって村の中にいるとも言えるのだ。教区にション・ア・ネル、すなわち「無秩序」が現れたとき、その「無秩序」は村から、祭りという形をとって、排除されなくてはならない。すなわちション・ア・ネルは排除すべき教区内部の無秩序であった。(続く)

 skimmington
スキミントン

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