第13回------ストーンヘンジとプレセリー山のブルーストーン

南イングランドはウィルトシャーのソールズベリ平原に、4000年以上の歴史をもつ巨石モニュメントがある。ストーンヘンジと呼ばれるこの先史時代の石造構造物の建造時期は3期に分けられ、紀元前3000年頃から始まり、紀元前1500年頃までには現在の最終的な形となったと考えられている。より正確な年代測定法が開発され、多くの調査がなされた結果、新事実が次々に明らかになっている。古くからこの遺跡は、祭礼の場とか、古代天文台と言われてきたが、最近、王族の墓地であったとの調査報告も出てきた。諸説紛々とする中、ストーンヘンジは我々を魅了し続けている。 今日ストーンヘンジとして知られているのは1個50トンもある通称サーセンストーンと呼ばれる巨石で構成されたサークルであるが、当初はそれよりも小さなブルーストーンと呼ばれる82個の石からなるサークルであった。しかし小さいといっても1個平均4トンもの重量があった。この石は、乾燥した気候では青灰色をしているが、湿気を帯びると著しく青みを帯びるのでこの名前があるという。ストーンヘンジに使用されているブルーストーンは溶岩からできた流紋岩や、火山灰からなる凝灰岩など5種類あることがわかった。また、これら5種類のブルーストーンをすべて産出する場所もわかった。それは西ウェールズのペンブロークシャー北部にあるプレセリー丘陵地帯のごく限られた地域であった。

では、これらのブルーストーンはなぜソールズベリ平原にあるのか?19世紀および20世紀初頭には、氷河期の氷河によってこれらの石がソールズベリまで運ばれたと考える地質学者もいた。しかし、そのようなことはあり得ないということがわかった。ここから導き出される答えは、ただひとつである。ブルーストーンは、今から4000年以上昔にプレセリー丘陵の東端1マイル平方の地域から、人力で南イングランドのソールズベリ平原に運ばれたのである。 とは言え、プレセリーからストーンヘンジまで最短でも約220キロメートルある。では、重量4トンもある80個以上のブルーストーンは、いったいどのようなルートで、どのように運ばれたのであろうか?考えられるルートは、まずプレセリーから東クレザイ川か西クレザイ川のいずれかに出て、その川を下り、内海をなすミルフォード・ヘイヴンに向かうというものであった。そこでブルーストーンは筏に載せられ、さらなる旅を続けたと考えられる。
可能性としては、プレセリーから一旦アイリッシュ海に出て、ブリテン島の最西端ランズエンドを廻り、南イングランドに向かうルートが考えられるが、ブルーストーンの搬送ルートが、ミルフォード・ヘイヴンを経由した確率は大変高い。というのは、ストーンヘンジに使用されている石材で、地元産でもプレセリー産でないものが2つあり、その2つの石は、ミルフォード・ヘイヴン近辺にしかない特殊な岩石であることがわかったからであった。

以後のルートは以下のようになる。ミルフォード・ヘイヴンから、南ウェールズの海岸伝いにセヴァーン川の河口まで行く。そこからブリストル・エイヴォン川を遡り、合流するフロム川に入りフロムの町まで行き、ここからは陸路でウォーミンスターまで行く。そこからはワイリー川を下り、エイヴォン川に出て、エイムズベリまで下り、ストーンヘンジのあるソールズベリ平原に到着ということになる。


おもしろいことに、ストーンヘンジの石が遠くから運ばれてきたソールズベリで組み立てられたとする話が、12世紀の修道士モンマスのジェフリーの書いた『ブリタンニア諸王史』にある。それによると、ストーンヘンジはもともとアフリカにあったもので、巨人がそれをアイルランドのキララウス山に移したのだという。ブリトン人の王アウレリウス・アンブロシウスは、戦死したブリテンの勇者たちを悼むための記念碑を作ろうとして魔術師マーリンに相談すると、マーリンはアイルランドにある「巨人の踊り」と呼ばれる巨石建造物を移築すればよいと進言した。そこで、その巨石を奪うべくアイルランドに兵が差し向けられた。マーリンはその魔力で巨石をソースルベリの近くのアンブリウス山に運び、元通りに組み立てたというのである。この話は、ストーンヘンジ建設のために、遠くウェールズからブルーストーンを運んだという先史時代の壮大な事業のかすかな記憶の口承や伝承に基づいて創作されたのであろうか?それともこれは、理解不能な事物はどこか遠くから魔法でもたらさせたのだと簡単に片づけてしまう、よくある例のひとつなのであろうか?


それはさておき、最大の謎は、なぜ初期のストーンヘンジの石はプレセリー丘陵のブルーストーンで作られなければならなかったのか、ということである。それに対するひとつの答えとして、『ストーンヘンジ』(中央公論社、1986年)の著者J.C.アトキンソンは、プレセリー丘陵が当時の南イングランドとアイルランドの間を交易で行き来する人々にとってこの上なく神聖な「山」であったからだと言う。波荒いアイリッシュ海を命がけで渡ろうとする商人や行商人や職人は、アイルランドに臨むこのウェールズ最西端の土地にある海抜400m前後のプレセリー丘陵にきっと特別の感情を抱いたであろうと彼は想像する。またアイルランドから戻ってくる際に、彼らが波しぶきを浴びながら最初に目にするのがプレセリー丘陵であり、その姿は彼らの無事な帰りを暖かく祝福しているかのように見えたであろうと彼は言う。そこで、彼らが何か大切なものを作るときにはプレセリーの石がまず一番に選ばれたのだとアトキンソンは考えるのである。たしかに興味深い説である。

アトキンソン説に従えば、プリセリー丘陵は古代人にとり神聖な場所であった。しかし、プリセリーは決して古代人だけの聖地ではなさそうだ。そこは現代人にとっても神聖この上ない聖地である可能性がある。特に世界のロックファンと歌好きのウェールズ人にとっては。というのは、あのロックンロールの王様エルビス・プレスリー(Elvis Presley)のルーツはプレセリー丘陵(Preseli Hill)にあるという説があるからだ。両者は発音が類似している。その上、プレセリー一帯には、セント・エルビスの名をもつ地名や泉がある。(詳細に地図を調べると、確かにある!)さらに、エルビス・プレスリーの両親はウェールズ系のクリスチャンネームを持っており、息子の名はその聖人に因んで名付けられたのだという。ちょっと出来過ぎた話で、すぐには信じられないのだが、ひょっとすると、プレセリー丘陵は古代ミステリーファンにとっても、ロックンロールファンにとっても重要なウェールズの「山」なのかもしれない。

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