第15回------ウェールズの忠犬ハチ公 ゲレルト

忠犬と言えばハチ公。渋谷の駅で帰らぬ主人を待ち続ける姿は銅像となった。

スコットランドにも同様の忠犬がいた。その名をグレーフライアーズ・ボビーという。ボビーの年老いた飼い主ジョックはエディンバラで急死し、そこにあるグレーフライアーズ墓地に埋葬された。主人の死を悼み、スカイテリア犬のボビーは飼い主の墓を14年間守り続けたという。ボビーも銅像になった。

銅像にはならなかったが、立派な墓を作ってもらったウェールズの忠犬がいる。
その名をゲレルト(ゲラート)という。

有名なウェールズ王は数多くいるが、スィウェリン大王(Llywelyn ap Iorwerth, ?-1240;英語発音はルーウェリン)は特に有名であった。そのスィウェリンがまだ若いころ、幼い息子を連れ、スノードン山の麓の、今はベズゲラートと呼ばれる地に狩りにやって来た。いつもその子の子守をする召使いの若い娘は、狩りが始まるというのに、人目を盗み、恋人と会うために出かけてしまった。そのようなわけで、彼が狩りをしている間、その幼子の子守りは、スィウェリンの愛犬ゲレルトに託された。ゲレルトは後ろ足で立てば2メートルになるであろうという、たいへん大きなアイリッシュ・ウルフ・ハウンドであった。

王は小屋にその子を残し、狩りに行ったが、狩りを終えて戻って来た王が見たのは、口と前足を血に染めた愛犬ゲレルトであった。スィウェリンは驚き、小屋の中の我が子を探すが、その姿は見あたらない。彼は愛犬ゲレルトが息子を食い殺したと思い、怒りのあまり、ゲレルトを殺す。ところが、息絶え絶えのゲレルトの悲しい鳴き声に交じり、小屋の暗闇の中でかすかな物音がする。彼はそこに無事な我が子の姿を発見したのであった。しかも、その子の傍らには、大きなオオカミの死体が横たわっていた。スィウェリンはすぐに、真実を悟り、息子の命の恩人である愛犬ゲレルトを殺したことを悔やんだ。彼はゲレルトのために立派な墓を作り、そこに愛犬を埋葬した。それ故に、この地をゲレルトの墓(ベズ)、すなわち、ベズゲレルト(ベズゲラート)、というようになったという。

この伝説は、ペット好きのイギリス人を大いに感動させた。特に、ベズゲラートを1800年に訪れたW・R・スペンサー師(William Robert Spencer, 1769-1834)はこの話に心を動かされ「ゲレルト、スィウェリンの犬」(“Gelert Llywelyn’s Dog”)という詩を作った。 ああ、スィウェリンの心の痛みはいかほどであったかなぜなら、今や真実は明らかになったからこの勇敢な犬があの狼を殺したのだスィウェリンの世継ぎを救うために。 [中略] そして今、贅を尽くした彫像で飾られた豪奢な墓が造られた。犬を称え、物語る大理石の彫像は哀れなゲレルトの骨を守る。 槍兵も、また森の住民も、誰一人として感動せずその墓前を通り過ぎることはできなかったあまたの涙に濡れた墓前の芝土はスィウェリンの悲哀の証しであった。 彼はここに角笛と槍を掛けた。そしてしばしば夕闇の迫るとき、哀れなゲレルトのいまわの声が心の耳に甦った。(「ゲレルト、スィウェリンの犬」73~92行)

しかし、実はこの伝説は、商売の才能に長けた南ウェールズ出身の男によって、1784年から1794年頃に創作された、金儲けのための「作り話」であったという。その男とはベズゲレルトの今もあるロイヤル・ゴート・ホテルの初代の所有者デイビッド・プリチャード氏であり、また彼はご丁寧にも、その犬の墓まで作った。その墓は、大きなしだれ柳の下に、今も柵に囲まれてある。

小説家であり、旅行家のジョージ・ボローは1854年、この墓を訪れている。1862年に出版された彼の著書『ワイルド・ウェールズ』において、彼はその伝説を語ったあと、次のように続けている。「ゲレルトの墓であるといわれているその墓は、ケリッグ・スランの断崖の下にある美しい牧場にある。その墓は、ふたつの直立した石とその横にある石版からできている。その墓はしだれ柳の下にあり、六角形の柵で囲まれている。それらの石の下にその犬が眠っていると信じるか、信じないかは別として、その伝説を知っている人ならだれでも、「かわいそうなゲレルト!」と声を発しないでこの墓に詣でることはできないであろう。」
  ベズゲラートの村は、今はスノードニアの名所になり、プリチャード氏の村おこし作戦は成功を収めた。ベズゲラート訪れられたおりには、是非墓参りを。

ウェールズ日本人会 email
Wales Japan Club All Rights Reserved
www.walesjapanclub.comに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。