星の巡礼

星の巡礼

ウェールズで長年過ごされた岡本賢一さんによる連載。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を歩きます。

「星の巡礼」を辿って ~プロローグ~

以前、Walesに住んでいた頃、パウロコエーリョの「星の巡礼」を読み、漠然とこの道歩いてみたいと考えた。


全行程800km以上の道のり、一ヶ月以上の時間が必要であり仕事の合間に歩くわけにもいかず、引退後、最初にやりたい事のひとつとなった。

 

中世のカトリック教徒が、キリスト教の3大聖地のひとつSantiago de Compostellaを目指してヨーロッパ各地から苦難を克服して歩いた道、その道を文明が発達した現代に歩くとはどういうことか、巡礼路沿いには私が好きなロマネスクの教会がたくさんあることと、「星の巡礼」に書かれている精神的な何かが得られるか、という期待があった。今日では、 巡礼の手段として、自転車、馬そして徒歩、そのうちどれを選んでもいいことになっているが、私は、自分が好きな“歩く”という手段を選んだ。

 

Santiago de Compostella は キリストの弟子のヤコブがエルサレムで殉教してその後 弟子たちが遺体を船に載せてスペイン北西の地まで運んだか、あるいは流れ着いたか、その後所在がわからなくなっていたが、後に遺体が発見され、その地(Santiago)に大聖堂を建立し祭ったことがきっかけとなり、中世には各地から大勢巡礼者が参るようになった。


Santiagoに向かう巡礼路はヨーロッパに網の目のように残っているが、主なものはフランスのLe Puyから、Arlesから、Parisから、Vezuleyからの4本、スペイン国内では一番有名で世界遺産にもなっている‘フランスの道’、そしてSevillaからの‘銀の道’、北の海岸沿いの‘北の道’などがある。

 

幸い元気なうちに引退することが出来たので、2008年6月から7月末まで、フランスのSt Jean Pied de PortからSantiago 迄と、そしてその先Finesterreまで途中の寄り道を入れて920kmを44日間かけて歩いた。

 

事前の調査に胸を膨らませ歩き出したが、キリスト教信仰、行く先々にある教会が大切であること、疑う余地もないが、歩いている人たちと話をすると、多くの人が、‘この巡礼路でもっとも大切なことは、信仰心でもなく、教会でもなく、世界各国から集まってくる人々との出会いである’、という。 それは私にも、数日もしないうちに解った。 これらの人々との出会いは、本当にすばらしく、このような短期間に世界各国の、様々な価値観の人々と出会い、話が出来ることはほかではありえない。 これが現代の巡礼と理解した。


この経験は、私の過去の人生のなかでもっとも輝かしくかつ貴重なものとなった。
此の後、すっかりこの道に取りつかれて、毎年違う巡礼の道を歩いており、私のLife workの一つになった。


ちなみに今年は南仏のArlesから歩いた。

 

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<2008612日  巡礼出発点Franceの St Jean Pied de Port

巡礼事務所前にて。アメリカAtlantaから来たMariniと。>

 

2012年9月

「星の巡礼」 ~序章~

1.序章:巡礼の出発地点 St Jean Pied de Port迄

2008年6月初旬、日本からLondon経由フランスのLyonに入り、巡礼出発地の St Jean Pied de Portまで列車で行く予定であったが、Franceの鉄道ストライキに見舞われて行き着けず、到着まで3日ほど要した。この日はLyon近くの友人の家に泊めてもらってストライキの解除を待ち、6月11日漸く一部の列車が動き出したとので、Lyonから列車に乗り、乗り継ぎの繰り返しをやりながら、夜11時に漸くBayonneまでたどり着いた。 St Jean Pied de Port迄行きたかったが、ストの影響でもう列車が無くやむなくここで泊まる。到着したときは、あいにくの土砂降り。 取りあえず駅前のHotelに飛び込んだ。
夜遅いためShowerは使うなという。 疲れたので風呂に入りたかったが、やむをえない。部屋で顔を洗い、体を拭きそのまま寝てしまった。

「星の巡礼」 ~巡礼第1日目~

2.巡礼第1日目

 

6月12日(木)     St Jean Pied de Port ―→ Orrison  9km


7時半起床。 昨夜の土砂降りはどこへ、天気は快晴だ。 急ぎ朝食を済ませ一番のSt.Jean Pied de Port行きLocal列車に乗った。


列車は、がら空き状態で、わずかな巡礼者と地元の人以外誰も乗っていない。
Hotelの朝食で顔を合わせた人たちも乗っており‘やあ!おはよう’と挨拶。
Bayonneからしばらく走るとたちまちピレネーの山間に入った。
いよいよ巡礼が始まると思うと、気持ちが高揚してきた。


10時前にSt Jean Pied de Portに到着。列車内で知り合ったアメリカ人母娘と連れ立って、


2-2

 

巡礼事務所に向かった。私は、今日はここに1泊する予定であったが、彼らは巡礼の手続き後、直ちに歩き始めて、約9km登ったところに在るOrissonという宿に行くという。アメリカから予約をして来たといい、ここでぶらぶらしても意味がない。今日のうちに少しでも歩いておいたほうが、明日の山登りが楽だという。まったくその通りなので私も行動をともにすることにした。Orissonの宿は、巡礼事務所のおじさんが電話で予約をしてくれた。一安心。みな親切だ。


巡礼事務所で登録手続きをしてクレデンシァル(巡礼者用のPassportでこれがないと巡礼
者用の宿には宿泊できない)、その他資料をもらい、巡礼者のシンボルである帆立貝をリュ
ックに吊り下げると、巡礼者の気分になってきた。


旅は道ずれで、アメリカ人母娘と出発した。母がMarini、娘はEmilyという。昼食用にパン、チーズ、それと水を買い歩き出した。天気は快晴。気分がいい。


約3時間登ったところで宿に到着。 


まだ新しい宿で、気分がいい。1室に2段Bedが3Setで合計6人が眠れる。ゆったりして
いる。5分間だけお湯が出るというShower用Coinをもらって、汗を流し、早速洗濯して
ゆっくりと休んだ。 ここはHalf Boardで30ユーロ。 ここのOwnerは、英国人で私が、最近まで
Walesに住んでいたというと、喜んで、小さいBeerをサービスしてくれた。


天候に恵まれてピレネーの中腹から眺める景色がすばらしい。宿泊客たちはテラスでBeer
やWineを飲みながら話しが弾んだ。今日は、巡礼者は19名。18時30分全員が集まって
夕食。野菜のスープに羊と豆の煮込みがメイン、デザートはクレマカタランによく似たバ
スクのスイートであった。おいしかった。さまざまな国から来ており、それぞれの国言葉
で乾杯を言うので時間がかかって大変だ。8時に夕食を終えた。


結局ここのAlbergue(巡礼者用の宿)がBestであったが、このときはそんなこととは夢にも
思わず、この程度の宿に泊まれるなら何の問題もないとしか考えなかった。


洗濯を取り込み9時にBedに入ったがなかなか寝付けなかった。
巡礼第1日目は順調な滑り出し。

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        <まだ新しいAlbergue Orisson >

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    <Orissonからみたピレネーの山並み>

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<Albergueでの楽しい夕食のひと時。必ずワインが付く。>

「星の巡礼」 ~2日目~

2章 2日目:OrissonからUrobbi

6月13日(金) 

 

昨夜は、興奮していたためかよく眠れず6時半に起床、簡単に支度をして朝食を取った。ほかの人たちはほとんど出発してしまって、ドイツ人のジットほか2-3人しかいなかった。 ジットが言うには、私は心の平安を求めてここに来ているので、そんなにあせって歩くことはない、時間に追われることはないと、悠然としていた。つぎのロンセスバイエスで会おうといって別れた。まだ右も左もわからずいささか不安もあり、アメリカ人母娘たちが出発するのに合わせて一緒に歩き出した。


歩き始めて、1時間半はよい天気であったが、高度が上がるにつれて霧と雨に見舞われ、とうとうポンチョをかぶった。Emilyたちと共にIbaneata峠のてっぺんで雨にぬれながら、立ったままパンとチーズをかじってお昼ごはんを済ませた。天気がよければ腰を下ろして、景色を楽しみながらの食事が出来るのに。霧でまったく見えない。


 雨が多いためか、道はぬかるんでおり、まともには歩けない。仕方がないので脇の斜面にのぼり藪につかまりながら歩いた。ぬかるみは深いところでは50cmくらいはあるだろう。途中で、Santiago 迄後765kmという道標があった。大変な遠距離だが実感がわかない。峠を越えて下り始めてまもなく、ロンセスバイエスの修道院(アルベルゲ)が霧の合間に見えたときは正直ほっとした。午後1時半過ぎに到着。ここであったかい食事を取った。Emily達がここのアルベルゲは混んでいて良くないので、この先Urobbiにアルベルゲがあり今日はそこまでいくという。 ここから8kmくらいという。ここまでせっかく一緒に来たので、ならばそこまで付き合うことにした。ロンセスバイエスにも泊まってみたかったが180人も詰め込むのでは、めちゃくちゃのはずと考えてここを後にした。
 ここからさらに1時間半ほどでUrobbi-Campingに到着。まだ新しいアルベルゲで巡礼者はわれわれを含めて6名であった。 私があてがわれた部屋には2段Bedが2つあったが私以外誰もいないので、実質個室となった。


 ここUrobbiはまだ新しくて人が知らないのですいていて、大変気分がよい。ブルゲッテとEspinalの中間あたりになる。 ブルゲッテでヘミングウエイがいつも泊まっていたという宿を見たいと思ったが雨降りのため、ゆっくりする気になれず足早に通り過ぎた。残念。彼が、自分の思考を練った場所という。


 いきなり歩きすぎたためか、少しひざが痛い。明日はのんびり歩こう。雨がやまない。夕食はShopでパン、ソーセージ、ヨーグルト、桃、Wine、Beerを買いEmily達と部屋で済ませた。この2人はスペイン語が大変上手で特にエミリーはぺらぺらでNativeと変わらない。アメリカはどこから来たのと尋ねるとアトランタからだという。スペイン語は日常的に話しているらしい。うまくなるわけだ。

 

 1-santiago

<Santiago迄765kmの道標>

 

 

 2-camping

<Camping UrrobiのGate>

「星の巡礼」 ~3日目~

第3章 3日目:UrobbiからLarrasoaňa迄

6月14日(土)  6時40分起床。 

軽くパン、ヨーグルト、ソーセージで朝食。支度をして8時に出発。Emily達はすでに出発していた。どうやら私が最後のようだ。誰も居ないので、車道に沿って歩き巡礼の道はこれでいいかと地元の人に聞きながら歩いた。次のエスピナルの村でBarがあったので目覚ましにコーヒーを飲んだ。巡礼者が2組ほどいた。  

スペイン人夫婦が、どこから来たのかというので、東京からというと、ずいぶん遠くから来たねといい、Buen Caminoといってくれた。なんとなく嬉しくなる。

今日も雨降りになり道も泥んこで歩きにくくなった。ひどい道で1度滑って転びかけた。やがて道路わきに何か碑があったので見てみると2002年8月にここで亡くなった日本人巡礼者の碑であった。手を合わせてまた歩き出した。このときEmily達が追いついてきた。彼らは先に出発したはずなのにどこで追い抜いたのだろう。ちょっと不思議な気がしたが、また3人で歩き出した。

Erro村で休憩し、その後Zubiriでポテトサラダ、白身の魚、果物のデザートの昼食をとった。このZubiriはコエーリョの星の巡礼では問題がある村であったが、ゆっくり実証も出来ず、ここのAlberge はよくないという彼らの意見に従って、Larasoaňaまで歩いた。夕方4時に到着。

今日はここで泊まる。 6ユーロであったがトイレもシャワーもすべて外で男女の別もない。本来のAlbergeはこんなものかと考えた。  今日は大変汗をかいたので、靴下、パンツ、シャツ、上着、ズボン、それと泥んこのポンチョを洗った。夕食は近くのBarで巡礼者たち20名ほどと一緒にとった。にんにくのスープ、魚それにアイスクリーム。 11ユーロ あまりおいしくない。しかし皆和気藹々と大いに飲んで食べてしゃべっている。気が付く私もすっかりそのペースにはまっていた。ここで知り合ったDanielとBenadetteも一緒に食事をした。この二人はその後も幾たびとなく出会い、Santiago迄一緒に歩き、後々までよき友となった。夕食後気がついたが、別にAlbergeの本棟がありそちらのほうが程度はよかった。男女一緒のトイレやシャワーは初めてであったが、こうなると女性のほうがはるかに強い。彼女たちは平気で裸になるので目のやり場に困る。

昨夜から虫に刺されて痒くて仕方がない。 蚤かしらみかそんなものであろうと考えていたが、後日Bedbugいわゆる南京虫であることが分かった。どうりで痒みが普通の蚤などとは違うと思った。何しろかゆくていつまでもその痒みが収まらないのだ。注意しなくてはと思っても注意のしようがない。

Camping Urrobi → Larrasoana  21km     TTL 55km 天気: 雨 曇り のち晴れ

 3-daniel

<暗いうちの出発。DanielとBernadette>

「星の巡礼」 ~4日目~

 

4.第4日目:Pamplona迄 

 2008年6月15日 (日) 第4日

 昨夜は、熟睡できたのですっきりした。5時45分、周りが起きだしたのでつられて起床。ぐずぐずしているうちにほかの人たちはさっさと出発していった。私もつられて6時半に出発した。ブルターニュから来たというDanielとBernadette夫妻も一緒に出発。出掛けにパン、チーズ、チョリッソを齧った。ゆっくり歩き出したが脹脛にツッパリがあるので気をつけて歩いた。特に下りは慎重に歩いた。次々に絵のように美しい村を通過した。
川にかかる古い橋がどれも趣があって美しい。もともとはローマ時代の橋で、後に再建されたり修理されたりしているので、Originalではないと。途中から英国人、アイルランド人、スェーデン人の3人組と一緒になり話しながら、今日の宿泊地パンプローナのAlbergue(巡礼宿)まで一緒に歩いた。私がWalesに住んでいたことを話すと、大変驚いた様子でいろいろと質問された。英国人でもWalesを知らないようで、私がAbergavennyの近くに住んでいたといっても、よく分からないらしい。食べ物はどうか、Walesの人間はどうか、と、どっちが英国人かわからないような質問もあった。
この連中は、私より1日早くサン・ジャン・ピエ・ド・ポーを出発していたが、初日にピレネー山中で道に迷い、結局、夜9時半頃山岳救助隊に救助されたそうだ。ピレネー越えは危険が付きまとう。そのために1日Lossしたといっていた。何でも7月11日にこの英国人の60歳の誕生祝をサンチャゴデやる予定で、親戚たちが大勢サンチャゴに集まるので、何が何でもその日までに到着しないといけないとのこと。こんな巡礼の形もあるか、と感心した。
パンプローナのAlbergue(Jesus et Maria) は一軒しかなく、もう一軒は、現在閉鎖されているとのこと。4人で到着したときは、12時半でまだ開いていなかった。ほかには誰も到着しておらず、我々が第1組であった。1時の開門まで待って宿泊手続きをした。私には2段ベッドの下段が与えられた。上段はいちいち上り下りで大変なので下段がいい。ただ上の人が登り降りのたびにうるさいがそれは我慢。贅沢はいえない。このAlbergueは大変すばらしく設備が行き届いており、快適である。
荷物を整理してShowerを使い早速街に出た。 日曜日のためにBarやRestaurant以外はすべて閉まっており、巡礼路のGuide bookを買おうと思ったが無理であった。次のブルゴスまであきらめるしかない。Castleや教会そして古い町並みが大変いい。有名なサンフェ
ルミン祭のときは大変な賑わいらしい。へミングウエイがよく通ったというレストラン

 4th-1
<パンプローナのヘミングウエィが通ったというレストラン>

‘IRUNA’を覗いてみたが結構高いので、Barでタパスやったほうがいいと思った。途中で知り合った、南アから来たという巡礼者で、女性8人組と夕食をとることになり彼らの希望でこの‘Iruna’に行ったが9時から開店ということで、Barに行った。Spainは夕食の始まりが遅い。巡礼者には不都合だ。結局、ビールとタパスをつまんだ。やはりこちらのほうがずっとよかった。このBarはまた来たい。

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<パンプローナのBar. 生ハムが壮観だ!>

この南アの女性たちは南ア語と英語しか話さないが、大変人懐こく、時には悪意のないJokeや悪戯で私をからかって大笑いをした。愉快な連中であった。彼らは、時間の関係で明日バスに乗りブルゴスまで行くらしい。今宵限りのお別れである。これが巡礼路の出会いと別れのひとつ。

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<南アの女性たちに囲まれてご満悦です>

区間と距離  Larrasoana → Pamplona   16km     TTL 71km

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