校長先生の日々2 : 自分に与えられた使命

校長先生の日々(2)田口知子

「自分に与えられた使命」

 人にはそれぞれ与えられた使命があるのではないかと、思うようになりました。たとえば家庭にいる人であれば、子供を育てる、あるいは家族の生活を支えるといったこと。また会社や地域のために、仕事をするというということ。どの人にも、その人が必要とされる場所があり、そこで何らかの働きをしていれば、それがその人に与えられた使命なのではないかと思うのです。私には子供がいませんから、自分の子供を育てるという使命はありませんでした。そのかわりに、教師として27年間過ぎた今、教育現場で仕事をすることが、自分に与えられた使命だったのかなという気がしています。

 大学4年の夏、私は地元愛媛県で教員採用試験を受けました。しかし採用されるかどうか分からないので、製薬会社の就職試験も受けることにしました。就職案内情報を見ると、自宅通勤者に限るといった条件つきの会社もあり、地方出身の私からすると不公平に感じられる募集案内でした。まず最初に受けた大手の製薬会社は、3人受験した中で私一人が不採用でした。後で、本当だったのかどうか、他の2人は研究室の教授の紹介があったと、耳にしました。自力では無理なのだろうかと不安になり、研究室の教授に就職の相談をすると、新しく設立された小さな製薬会社への就職が、すんなりと決まりました。これが社会というものなのかと初めて実感しました。この時、教授の言った言葉が今も心に残っています。「仕事は会社の大きさではないんだよ。大手では大勢の人が、仕事を分業しあうから、限られた仕事しかやらせてもらえないかもしれないが、ここは小さな会社だから、いろんな分野の仕事に関われることができて、やりがいがあるのではないかな。仕事って、やってみないと分からないものだからね」

 その一方で教員採用試験の結果は、なかなか出ませんでした。結果の通知が届いた時は、既に2月に入っていました。判定はCでした。Aは採用確実、Bは採用の可能性大、Cはあきがあれば採用という意味です。私は不採用ではなかったことに希望を感じ、しばらく考えた末、採用の可能性にかけてみることにしました。教授にそのことを伝えると、「きみは、教師になりたいって言っていたからね。それもいいんじゃないか」と快い理解が得られ、ほっとしました。

「しかし、内定している会社に対して、これは大変失礼なことだよ。きみもこれから社会人になるのだから、きちんと謝罪しなければいけないよ」と、会社を訪ねるのに教授も付き添って下さいました。人事部の方に、教師になりたい希望を伝え、最初は代用教員でもあきがあるまで待ちたいという気持ちを自分なりに一生懸命伝えました。すると、「そういうことなら、残念ですが、仕方ないですね。教師になれるように応援しています。がんばってくださいね」と言っていただいた時には、涙がこぼれそうでした。こういう会社なら、どんな時もきっと気持ちよく仕事ができたのではないかと思います。

 私は、教育委員会の方へ「あきがあるので待つ」という返事を出しました。すると、3月の卒業間際になって「愛媛県今治市の中学校に採用決定」との連絡が来ました。今治管内には瀬戸内の島がいくつも含まれています。どの学校かなと思っていたら、男性教員は全員、赴任先が島の中学校で、私だけが市内の中学校でした。今治管内の新採の理科教師は5名で、女性は私一人だったのです。もしかしたら私は女性ということで、配慮されたのでしょうか。教育委員会に提出すべき書類を大学の教務部に取りに行くと、「あなた教師になるの。教員免許をとる人は多いけれど、実際に教師になるのは、あなたが初めてだ」と言われました。ちょっと意外でした。

 私の大学では、薬学部80名の内、男子学生は10名程度でした。学部の授業中、ある教授が言いました。「皆さんの中には卒業してすぐ結婚する人もいる。また仕事は結婚までと考えている人もいるだろう。それは、はっきり言って税金のむだである。皆さんがここで勉強するために、国から一体一人いくら、補助を受けているか、考えたことがあるだろうか。この中で、これから研究や仕事を続けていく人は、少数だろう。自分はそうした少数の人のために授業をしている。皆さん、今の勉強を税金のむだ使いに終わらせず、少しでも社会に貢献できるように努力してほしい」その時の私は、社会に貢献できるかどうかは別として、何か仕事はしたいと考えていたので、教授の言葉は納得できる気がしました。

 しかしあれほど意気込んで教師になったにもかかわらず、6年間、理科教師をした後、英国留学を理由に教師の仕事を辞めてしまいました。こんなに簡単に仕事を辞めるなんて、と言われても仕方の無いことでした。しかし二度と教壇に立つことは無いだろうと思っていた私に、英国でウェールズ補習校との出会いが待っていました。1984年5月に渡英し、すぐに2学期から補習校講師として国語と数学を教え始めました。私は英語留学中の学生の身の上で、現実的にアルバイトが必要だったのです。日本から企業招聘された2代目の校長先生の下で2年間、それから3,4,5代目の校長先生が日本から来られ、あっという間に年月が過ぎました。歴代の校長先生は、日本の学校を定年退職された、教育に情熱を傾ける経験豊富な先生方でした。本当に多くのことを教わりました。また私生活の面では、英国人の夫との出会いがあり、3代目校長先生の時に、結婚をし、英国永住を決意。そして1993年2学期から「現地採用校長」になり、現在に至っています。

 人生の岐路でどの道に進むか、選択してきたのは自分ですが、その道はなんだか大きな力によって動かされているのではないかという気がします。日本で教師を辞めたにもかかわらず、こうして今もウェールズ補習校で、教師の仕事を続けていることが、とても不思議でなりません。母親として「人間を育てる」ことは本当に大仕事だと常々思っているのですが、私は私なりに土曜日に補習校に来る子供たちのために、「楽しく幸せな時間と貴重な学びの場」を提供し、海外の教育現場で人を育てる一端を担うことが自分に与えられた使命だったのかなあと思います。南ウェールズの海外投資は、一つの山を越え、現在補習校の生徒数はさらに減少傾向にあります。数年前は、最高135名の生徒がいましたが、今年度末には45名程度になりそうです。これは1981年創立当時の人数と同等です。補習校運営はこれから新たな局面を迎えていくと思いますが、必要とされる場で私なりに満足できる仕事ができるように、ささやかな努力を続けていきたいと思っています。

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