校長先生の日々1 : 私が教師になるまでの話

田口知子

はじめに

 昨年、竹田悠人君が「田口校長先生の素顔に迫る」と題したインタビュー記事をまとめました。国語の学習でインタビューを行う単元があり、私がインタビューする相手に選ばれたのです。中2は生徒が竹田君一人だけのクラスでした。担任のサポートがあったとはいえ、一人でインタビューをして、記事にまとめるのはなかなか大変だったと思います。その記事は、生徒新聞だけでなくホームページにも掲載しました。最初は「生徒が作った紙面」として、単発のコラムで終わる予定だったのですが、「せっかくだから校長自身が記事を書いて、このコラムを継続していったら」という声が、編集委員から出ました。その時、それもいいかなと思いました。これまでに、補習校だよりをホームページに掲載したらという声がありましたが、補習校だよりは内輪の話題なので、正直なところあまり気持ちが動きませんでした。しかし、補習校だよりとは別の視点から、校長が自分の声を発信していくことは、おもしろいかもしれません。それに補習校だよりの記事は、自分の中では「教育」という大きテーマを設定して書いていますが、このコラムならもっと自由なテーマで「私の中にある思い」を伝えていけそうです。そこで、この提案にのってみることにしました。

私が教師になるまでの話

 私は、実は教育学部出身の教師ではありません。薬学部出身です。大学を受験する時、特に薬剤師になりたいという強い意志があったわけではありません。当時、理科系に進んだ女子は、医歯薬理学部を選択するのが普通でした。会社員を辞めて教員になった(定時制高校の後、高専に移動)父親の影響で、私自身はずっと教師の仕事に興味がありました。中1の時「将来の夢」という作文に、教師になりたいと書いたこともありました。父から、薬学部に進学しても、教員免許がとれるという話を聞いて、学部は薬学部に決めました。父が教員だった時、半年間、国内留学で学んだ大阪の大学で、私も学んでみたいという気持ちもありました。その大学に、教育学部はありませんでした。

 第 1 希望の大学に進学が決まり、教養課程の時に、教育免許に必要な学科の単位を取ることにしました。教職の学科は、たいてい 1 日の最後にありました。夕方の四時か五時から、さらにまだ授業が続くわけですが、嫌だとは思いませんでした。教育心理学とか教育基本法など、学部の勉強とは異なったおもしろさがありました。そして、大学四年生になった時に、母校の中学校で2週間の教育実習を行いました。この頃の私は、精密な実験が苦手で、自分は薬剤師にはむいていないのではないかと思うようになっていました。だから、公明正大に卒論の実験を休めることは、私にはありがたい気分転換でした。母校には、私が中学生だった時の先生がまだいらっしゃったり、教育実習生の中に、理学部に進んだ高校の同級生がいたりして、とても楽しい 2 週間でした。もっとも、私が担当した中2の学年には弟がいて、クラス担任からははずしてもらえたものの、少しやりにくい一面がありました。私が学校でどんな様子か、私が担当したクラスの友達から話を聞いて、両親に全部報告してしまうのですから。とは言っても、弟なりに姉が失敗しないか心配してくれていたのかもしれません。

 こうして、無事に教員免許がとれました。

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