校長先生の日々23 松井先生のご冥福を祈って

校長先生の日々(23) 松井先生のご冥福を祈って

学校参与の松井みどり先生が、2月8日に急逝されました。二日間ほど体調がお悪かったそうですが、土曜日に補習校でお会いしたばかりでしたので、未だに信じられません。先週は、ミーティングがなく、補習校にはお出でにならない予定でしたが、前週に補習校にお忘れになったメモ帳を郵便でお送りしていましたら、切手を同封したカードを、わざわざ持ってきてくださいました。それも、リハーサルをしていたホールから、お昼時に少し早目に校舎に戻って正面ドアを入った所で、ばったりお会いしたのです。天からのお恵みとしか思えません。
松井先生は、日英交流に貢献した功績を認められて、2000年に外務大臣賞とエリザベス女王から名誉大英勲章第五位(MBE)、そして2008年の「春の叙勲」で旭日双光章を受章されました。新聞に松井先生のお名前が掲載された時、肩書きは「ウェールズ日本人補習授業校参与」とありました。こんなふうに本校の名前が登場するとは思いもしなかったので、松井先生ご自身のご受勲が、「身内」の栄誉に感じられ、喜びが一層大きくなりました。ついこの間のことのようです。会社は既に定年退職されていたので、「元英国タキロン取締役」という肩書き(タキロン社は、ウェールズに進出した日本企業の第一号)ではなく、現職名の「ウェールズ補習校参与」になったのだと思いますが、松井先生ご自身も、これは補習校の存在が認められたことになり、栄誉を補習校の関係者たちと分かち合うことができると考えられ、とても喜んでいらっしゃいました。「参与」として、松井先生は全くのボランティアで補習校のために、どんな時もおしみなく力を注いでくださいました。
松井先生は、1972年に藤沢市の中学校の英語教師を退職し、三か月程の予定で、英国に来られました。学校見学や観光をしている内に予定が延び、73年にタキロンのウェールズ進出が決まると、バイリンガルの秘書としてスカウトされました。屋根などに使うコルゲートシートを作る会社です。その工場立ち上げのために、あっという間に三年が過ぎ、そろそろ退社して本業に戻ろうと考えていた時、原材料調達という重職を任され、91年にはついに取締役に就任されました。
話が戻りますが、タキロンに続きウェールズに日本企業が次々に進出すると、日本人の人口が急増。1981年4月にウェールズ日本人会が発足し、補習校の創立準備が始まりました。松井先生も創立に尽力され、補習校が1981年9月に創立。82年8月より日本から退職校長を企業招へいする仕組みも出来、松井先生は教頭として校長を支えられました。2,3年おきに校長が替わる中で、補習校の継続性が維持されたのは、松井先生の存在があってのことです。会社勤務の一方で、補習校講師、日本語のイブニングクラス、ボランティアでの日本文化交流活動などを続けてこられましたが、重役として会社の出張が多くなったため、89年3月に補習校を退任。私が後任として教頭職を引き継ぎました。補習校にとって松井先生は欠かせない人材だと考えた三代目校長の芳賀利正先生が、「学校参与」の役職を作り、松井先生に支援の継続を要請されました。「役職などなくても、必要な時は、お手伝いしますから。」と笑いながらおっしゃっていた松井先生の姿が、今でも忘れられません。
松井先生にお願いして、朝会で、旭日双光章の勲章と賞状を披露していただいたことがあります。ご家庭で、あるお父様が「どんな勲章なのかな」と言うと、「ぼく、学校で見せてもらったよ。」と瞳を輝かせて、報告してくれたというお話も、耳にしました。私達みんなの温かい灯となって、人としてのあるべき道を示してくださった松井先生。補習校だけでなく、ウェールズに来る日本人にとって、どんな時も頼りになる存在で、ぶれない、まさに「凛とした生き方」のお手本でした。
 一月にチャリティーコンサートの記事を書いていただけたのも、よかったです。他にもっともっとお話をお聞きしたかったです。私には、今も笑顔の松井先生しか浮かびません。松井先生のことだから、空の上から、おやこんなところに来てしまったわと、笑いながら、私たちを見守ってくださっているようで、そんな場面を想像すると、涙の中から力がわいてくる気がします。松井先生のまっすぐな精神は、私たちの心にしっかりと宿り、勇気の源となって、これからも導き続けてくれることでしょう。ご冥福をお祈りします。(2016年2月)

松井みどり先生が補習校だよりに寄稿してくださった記事
幹部会の声 チャリティーコンサート
補習校参与  松井みどり
 2006年のある日、私はカーディフ駅のプラットフォームでロンドンへ行く電車を待っていました。そこへ根岸幸代さんというRoyal Welsh College of Music and Dramaのピアノ科の卒業生が、近づいてきました。根岸さんと私は、根岸さんが音楽大学在学中から、とても親しくしていました。根岸さんは、音楽大学を卒業して、日本へ帰国していましたが、音楽大学でミニコンサートをすることになり、一時的にカーディフへ戻ってきていました。
 そこで、根岸さんと私のロンドンまでの楽しい電車の旅が始まったわけです。いろいろお話しているうちに、根岸さんが「どこかで小さくていいのですが、コンサートをするチャンスがありますでしょうか?」と聞かれました。そこで、ピンときた私は「ありますよ。ありますよ。」と答えました。私がその時とっさに考えたことは、補習校の運営資金援助のためのファンド・レイジング・コンサートはどうだろうということでした。早速、根岸さんに話をしてみて、「ただ補習校の為ですから、ボランティアの出演で、謝礼は出せないのですが・・・」と言ってみたところ、根岸さんは「謝礼はいりません。」とのこと。そこで、話はとんとん拍子に決まりました。
 根岸さんが、音楽大学で同級生であったクラリネット奏者のGraham Jonesさんにも声をかけてくださり、二人のコンサートとして、第一回チャリティーコンサートが、2006年6月24日に開催されました。二人だけでなく男声合唱団bechgyn bro taf の応援もあり、コンサートは、大成功でした。これが、補習校チャリティー・コンサートの始まりでした。
 その後、第二回は、2009年11月21日に、A Celebration of Japanese and British Songs of the last 150 years と銘打って、日本から来英した日本舞踊、メゾソプラノ歌手、ピアノ演奏で賑やかに、日本の音楽紹介ができました。続いて、第三回は、2011年1月29日に、ピアノ(岡田沙弥さん)と琴(末 寛子さん)のジョイントコンサートとなり、日英文化交流と親善のために、大変効果がありました。その上に、第一回で協力頂いた男声合唱団bechgyn bro taf の出演も可能となり、とても良いコンサートができました。
 第四回は、2012年2月18日でしたが、丁度補習校30周年記念のコンサートとなり、ブラスアンサンブルRobert and David Childs とCory Brass Ensemble をゲスト出演者に迎えました。それに第三回で出演下さった岡田沙弥さんとRoyal Welsh College of Music and Dramaの学生であったクラリネット奏者の坪根悠太さんの応援出演もお願いでき、これも成功しました。
 第五回は、2013年1月26日で、この時、初めて13歳のピアニスト、Nadia van der Goesさんに参加して頂きました。Nadiaさんのことを補習校の児童生徒達が親しみと尊敬の眼で見て、熱心に演奏を聴いていたのが印象的で、それ以来Nadiaさんの人気が出て、第七回まで毎回出演していただくことになりました。
 第六回は、2014年1月25日で、これまで出演して下さっていた岡田沙弥さん、Nadia van der Goesさんに加えて、初めてRoyal Welsh College of Music and Dramaの作曲科の学生、宮本貴奈さんがお友達のグループとカルテットを構成して下さり、応援して下さいました。
 第七回は、2015年1月31日で、第六回と同じように岡田沙弥さん、Nadia van der Goesさん、カルテットの皆さんの協力応援を得ました。特に、第七回では、カルテットの演奏曲目と合わせて、背景の映像を流す等工夫もこらされ、コンサートは年々盛り上がっていきました。
男声合唱団bechgyn bro taf は、第一回コンサートに始まり、第三回~第七回まで、ほとんど毎回応援出演下さいました。
 ということで、日本人会をはじめ、演奏者の皆さん、裏方の方々いろいろな方達の多大な支援を得て、チャリティ・コンサートは、2015年1月まで続き、ご援助頂いた方達には、本当に感謝しております。コンサートとして成功していただけでなく、補習校の児童生徒が音楽に親しむためにも、とても効果があったと思います。
 それが、いろいろな事情で、今年度は開催できないことになりました。非常に残念ですが、またの機会に恵まれ、再開可能になりましたら・・・とそれを楽しみに、暫くお休みしたいと思います。再開の折りには、またご援助いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。(2016年1月23日)

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